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20世紀名作椅子辞典

20世紀名作椅子辞典

1910年代後半から30年代にかけてオランダで起こった新しい造形運動のことを「デ・スティル」と言います。
第一次世界大戦の中、1917年10月に建築家のテオ・ファン・ドースブルフが中心となって、雑誌「デ・スティル」がオランダで創刊されました。
目的は「芸術を急進的に革新すること」伝統的な装飾を取り除き、水平や垂直を強調した幾何学的な形態を追求しました。オランダでは世界大戦の影響で生活は困窮し、質素・倹約を余儀なくされたことも少なからず影響されているものと思われます。
その後ドイルで設立された「バウハウス」や、フランスのル・コルビジェなどの「エスプリ・ヌーボー」などの活動に「デ・スティル」は影響されたと言われています。「デ・スティル」の主要メンバーには、家具デザイナーで建築家の「ヘリット・トーマス・リートフェルト」や抽象画家の「ピエト・モンドリア」などがいました。
それでは、20世紀の名作椅子の探索の旅に出かけることにしましょう。

ヘンリー・トーマス・リートフェルト

氏名ヘンリー・トーマス・リートフェルト
出身地オランダ ユトレヒト
生年月日1888年6月24日〜1964年6月25日
代表作レッド&ブルーチェア ジグザグチェア
オランダの建築家、デザイナーであり、10代後半から宝石デザイナーとして働きながら、家具職人の父親の元で修行し、1911年に自らデザインしたキャビネットを制作する会社を設立。会社経営を行いながら、勉強をし、勉強を通じて「デ・スティル」の創設者と知り合いました。20代後半まではクラッシック家具を製作していましたが、フランク・ロイド・ライトの「平板で構成された木製椅子」に出会い、新しい家具のデザインに取り組み始めました。左右非対称の「ベルリンチェア」や成形合板の「イージーチェア」「ジグザグチェア」など、今までになかった幾何学的なタイプの椅子を生み出しました。
レッドアンドブルーチェア
ジグザグチェア

ヴァルター・グロピウス(バウハウス初代校長)

氏名ヴァルター・グロピウス
出身地ドイツ ベルリン
生年月日1883年5月18日〜1969年7月5日
代表作D51 アームチェアF51
ヴァルター・グロピウスは、ドイツを代表する建築家で、近代建築の4大巨匠の一人と言われています。バウハウスの創立者であり初代校長でもあります。彼が設立したバウハウスでは、建築を総合芸術に高めることを目指し、革新的な教育システムを築き上げました。長い教育キャリアの中でモダニズム建築の考えを世界に広めました。
彼が設計した有名な建築物に「バウハウス学校」やアメリカの「ハーバード大学グロピウスハウス」などがあります。
1937年にアメリカに移住し、ハーバード大学の建築家の教授になり、住宅の規格化と量産化の基礎を作りました。

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ

氏名ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ
出身地ドイツ アーヘン
生年月日1886年3月27日〜1969年8月17日
代表作バルセロナチェア MRチェア ブルノチェア
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、20世紀のモダニズム建築を代表する建築家で、ドイツのアーヘンで生まれました。1911年に独立し、ガラス・鉄・コンクリートなどの素材を使用し、近代的な住宅や高層建築などを設計しました。
彼は、ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトなどとともに三大巨匠の一人として知られています。
彼が設計した代表的な作品に、ニューヨークのセグラムビルやシカゴのフェデラルセンターなどがあります。
1929年のドイツ万博ではドイツ館のデザインを手掛けました。また1930年〜1933年までバウハウスの3代目校長を務めました。設計した建築物に置く椅子を自ら設計し、近代的な椅子のデザインにかなりの影響を及ぼしました。
最も有名な椅子に、バルセロナ万博のドイツ館に飾られた「バルセロナチェア」金属パイプ製の名作「MRチェア」「ブルノチェア」などがあります。
「より少ないことは、より豊かなこと」などの名言も残されています。

マルセル・ブロイヤー

氏名マルセル・ブロイヤー
出身地ハンガリー
生年月日1902〜1981
代表作ワシリーチェア チェスカチェア
マルセル・ブロイヤーは、バウハウス1期生として学び、卒業後も同校に残り、1926年にはバウハウスの家具工房の主任教官になりました。ユダヤ人のマルセル・ブロイヤーはナチスから逃れるのにイギリスを経てアメリカに移住しました。1956年に「マルセル・ブロイヤー・アンド・アソシエーション」事務所を設立。アメリカではハーバード大学の建築学科で教授を務めています。戦後はニューヨークのユネスコ本部や現在のメトロポリタン美術館分館などを設計しています。
彼は機能性や量産化を重視したデザインを目指しました。また、ヘンリー・トーマス・リートフェルトの影響を受け彼の代表作であるレッドアンドブルーチェアを意識した椅子を製作しています。

マルト・スタム

氏名マルト・スタム
出身地オランダ プルメント
生年月日1899〜1986
代表作カンチレバーチェアS32V アームチェアS64V
オランダのプルメントの生まれ。マルト・スタムは軽量のスチールパイプによるカンチレバー構造の椅子を世界で最初に発案した人物です。カンチレバー構造とは、支持点の一方にしか支がない構造のことです。マルト・スタムはそれまでの椅子の脚は4本という概念から離れ、実験的にガス管を使って試作をしました。カンチレバー構造はその美しいデザインだけでなく、座面が柔らかく感じられるという利点があります。
1928年マルト・スタムとマルセル・ブロイヤーの間でカンチレバー構造の椅子の特許を巡って裁判が起こりました。ブロイヤーは「チェスカチェア」を発表し、それがカンチレバー構造の椅子としては初めてのものであったため、特許を取得しようとしましたが、マルト・スタムも同時期にカンチレバー構造の椅子を発表しており、ブロイヤーとマルト・スタムの間で裁判が起こりました。しかし、ドイツ連邦裁判所はマルト・スタムさんの著作物であるという判決を下しました。

ジャック=エミール・リューマン

氏名ジャック=エミール・リューマン
出身地フランス
生年月日1879年8月28日〜1933年11月15日
代表作ベルサイユ椅子
ジャック=エミール・リューマンは「アールデコ」を代表する家具・インテリアデザイナーであり建築家。彼の代表作は、アールデコ建築の傑作である大階段です。パリ万博に出展した「コレクショヌール館」の内装も手がけています。
彼の作品は、古典的で重厚な装飾を取り入れたものが多く、ローズウッドや黒檀などの高級素材を使用しながら、美しい曲線と直線を組み合わせた家具を作り出し、その美しさから多くの人々に愛されています。

アイリーン・グレイ

氏名アイリーン・グレイ
出身地アイルランド
生年月日1878年8月9日〜1976年10月31日
代表作ドラゴンチェア ビバンダム トランサットチェア
アイリーン・グレイは、アイルランド出身の女性の家具・インテリアデザイナー・建築家です。彼女はフランスで活躍し、コルビジェとの共同作業でも有名です。彼女が初めて手がけた建築物は「ヴィラE1027」で、この建物は彼女の恋人であるジャン・バドヴィッチが過ごすために建てられたものです。20代後半に出会った日本人の漆工芸家の菅原精造から漆技法を学びました。40代半ばまでは椅子やテーブルなどを漆で仕上げることが多く、長椅子に漆塗りして銀箔を施した作品も残しています。

ピエール・シャロー

氏名ピエール・シャロー
出身地フランス
生年月日1883〜1950
代表作シャロー・ルームディパン
家具・インテリアデザイナー。建築家としては、外側をガラスブロックで覆った「ガラスの家」の設計者として有名です。医師ダルザスの邸宅兼診療所「ラ・メゾン・デ・ヴェーレ」を手がけたことでも知られています。この建物は、ガラスや鋼鉄を多用したモダンなデザインで、当時としては斬新なものでした。彼の椅子の代表作として「シャロー・ルームディパン」があり、彼が手がけた家具の中でも最も有名なもので、その美しいデザインは多くの方から愛されています。
彼は正規の建築教育を受けず、就職した家具の会社でデザインや製図を学んだ異色の経歴の持ち主です。

ロベール・マレ=ステヴァンス

氏名ロベール・マレ=ステヴァンス
出身地フランス
生年月日1886〜1945
代表作スタッキングチェアCROIX MSチェア
ロベール・マレ=ステヴァンスは、フランスの建築家であり、1920年代から1930年代にかけて、主にフランスにおいてモダニズム作家として知られています。彼は、「ル・コルビジェ」や「アイリーングレイ」らとともにUAM(現代芸術家協会)を設立して初代会長に就任しました。彼は、モダン建築の旗手であり、先進的な視点の持ち主です。彼が手がけた建築物には、カヴロワ邸や、パリの「シネクタ」映画館などがあります。
彼がデザインした椅子には、1932年に別荘のキッチンファニチャとしてデザインしたスタッキングチェアCROIXや、1935年にパリで開催された「国際美術工芸博覧会」に出品差sれた「MSチェア」などがあります。

ル・コルビュジェ

氏名ル・コルビュジェ
出身地スイス
生年月日1887〜1965
代表作グランコンフォールLC2 シューズロングLC4
ル・コルビュジェは、スイス生まれの建築家で、フランスで活躍しました。彼は、現代建築の基礎を築いたとされる人物で、近代建築の三大巨匠(フランク・ロイド・ライトとルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ)の一人です
彼が手がけた建築物は世界に70作ほどが残されています。その中には、フランスを中心に、スイス、日本、インドなど14カ国にあります。その代表作としては、フランスの「ノートルダム・デュ・オ」や「シャンデリア邸」インドの「アフマダーバードのル・コルビュジェ建築群」などがあります。
椅子や家具については、女性デザイナーのシャルロット・ペリアンや従兄弟のピエール・ジャンヌレと合作した「シューズロングLC4」などのスチールパイプ製の椅子が有名です。彼は「家は住むための機械である」という有名な言葉を残しています。

シャルロット・ペリアン

氏名シャルロット・ペリアン
出身地フランス
生年月日1903〜1999
代表作ペリアンチェア システム・ド・クローゼット
シャルロット・ペリアンは、フランスの建築家・デザイナーであり、1927年に「サロン・ドートンヌ」出品作が認められ、「ル・コルビュジェ」のアトリエに入所しました1929年のUAM(現代芸術家協会)設立に参加彼女は日本のデザイン界に多大な影響を与えた人物の一人です。1952年にエールフランスの初代日本支社長として東京に赴任した夫と共に来日しています。来日時には、東北・北陸・京都・奈良などを積極的に周り、日本の住環境や日常使用している什器などを熱心に研究し、戦前戦後と通じて日本に影響を及ぼしています。日本の坂倉準三と共に神奈川県近代美術館の鎌倉館の設計にも関わっています。彼女は「ル・コルビュジェ」だけでなく、「ピエール・ジャンヌレ」とも共同で家具のデザインをしています。

ピエール・ジャンヌレ

氏名ピエール・ジャンヌレ
出身地スイス
生年月日1896〜1967
代表作シザーチェア
ピエール・ジャンヌレは、スイスの建築家で、ル・コルビュジェとは従兄弟にあたり、コルビュジェの重要なパートナーとして建築事務を担当した人物です。1920年代後半に「シャルロット・ペリアン」や「ル・コルビュジェ」と共にスチールパイプ製椅子をデザインしました。1950年代にインドのチャンディーガル都市計画の時に、彼がデザインした家具シリーズ「プロジェクト・チャンディーガル」が有名です。1946年にデザインした「シザーチェア」は40年代後半から60年代後半にノール社が販売し、V字型の足のデザインは、チャンディーガルの椅子のデザインに繋がっています。

ルネ・エルブスト

氏名ルネ・エルブスト
出身地フランス
生年月日1891〜1982
代表作シューズ・サンドウズ
ルネ・エルブストは、フランスの建築家でデザイナーで、1926年建築家としてスタートし、「ル・コルビュジェ」や「ミース・ファン・デル・ローエ」らと親交を深め作品を発表。彼は単純な工業素材を家具デザインに応用した最初の人物の一人であり、フランスにスチールパイプを取り入れた家具の先駆者であります。
1929年に、「ル・コルビュジェ」らとUAM(現代芸術家協会)を設立し、1945年にはUAM議長に就任しています。
スチールパイプ製の椅子を数多く手がけ、特に座り心地を良くするために弾力性のあるゴムベルトを使用した「シューズ・サンドウズ」は有名です。

ジャン・プルーヴェ

氏名ジャン・プルーヴェ
出身地フランス
生年月日1901〜1984
代表作スタンダードチェア グランルポ
ジャン・プルーヴェは、フランスの建築生産の工業化に大きな役割を果たした建築家であり、家具デザイナーです。
1930年代のフランスで、「ル・コルビュジェ」や「ピエール・ジャンヌレ」「シャルロット・ペリアン」と時代を同じく活躍をしました。1929年にUAM(現代芸術家協会)設立に参加しています。彼が手がけた建築物には、ナンシーの自宅、ガソリンスタンド、ヴィトラキャンパス内に移築された「から傘の家」などがあります。彼は生涯を通じて、自身のアイデアを製品化するデザイナーであり、エンジニアであり、製造も自らの手で行いました。第2次世界大戦中にはレジスタンス運動に参加し、1944年にはナンシー市長に就任しています。特にアルミを建築素材に取り入れた先駆者でもあります。
代表作のブルーヴェの椅子にはファンが多く、ヴィンテージ家具市場では大変人気があります。

フランク・ロイド・ライト

氏名フランク・ロイド・ライト
出身地アメリカ
生年月日1867〜1959
代表作帝国ホテルの椅子 バレルチェア

フランク・ロイド・ライトは、アメリカの建築家で「ル・コルビュジェ」や「ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ」と共に近代建築の三代巨匠の一人です。彼は生涯で1100以上の建築設計を行い、その内400件が建築群として残されています。日本にもいつくか作品を残しており、帝国ホテルライト館やカフマン邸などがあります。数多くの椅子をデザインしているが、そのほとんどが設計した建築物の中に置かれています。帝国ホテルに置かれている椅子や、ジョンソン・ワックス社で使われたオフィスチェアなどがあります。
オフィスチェアでは、まだ当時珍しいキャスター付き事務用回転椅子をデザインしています。
フランク・ロイド・ライトは、「自然と調和する建築」を提唱し、自然素材を多用した建築物を多く手がけました。有名な言葉に「機能によってフォルムが決まる。これは誤解されたきた。フォルムと機能は精神的な統合によって一体であるべきである」などがあります。

エリック・グンナール・アスプルンド

氏名エリック・グンナール・アスプルンド
出身地スウェーデン
生年月日1885〜1940
代表作セナ・ラウンジチェア
エリック・グンナール・アスプルンドは、スウェーデンの建築家であり、北欧近代建築の礎を築いた人物です。彼は、ストックホルム王立工科大学で建築を学び、1915年に「ストックホルム南墓地国際コンペ」で1位になったことで注目されました。その後多くの建築物を手がけ、ストックホルム市庁舎やストックホルム国立美術館などがあります。彼は「アルヴァ・アールト」や「アーネ・ヤコブセン」などの北欧の20世紀の建築家たちに多大な影響を与えました。
若い頃は新古典主義に影響を受けたが、その後モダンデザインへと移行していきます。北欧デザインのエポックとなった1930年のストックホルム博覧会では、主任建築家として、金属とガラスで構成されたパビリオンの設計を行いました。

ヨーゼフ・フランク

氏名ヨーゼフ・フランク
出身地オーストリア
生年月日1885〜1967
代表作クリスモス・チェアB300
ヨーゼフ・フランクは、オーストリア出身の建築家、デザイナー、アーティストです。彼は、ウィーン工科大学で建築を学び、ウィーン分離派の一員として活躍しました。モダニズム建築に反対し、自然主義的なデザインを提唱しました。1933年、スウェーデンに移住し、その後スウェーデンのモダンデザインに影響を及ぼしました。スヴェンスクト・テン社で家具、インテリア、テキスタイルのデザイナーとして活躍します。鮮やかな色使いで描いた動物や植物のファブリックは好評となり、現在でも多くのファンがいます。椅子では、そのファブリックを張ったソファなどをデザインしていて、古代ギリシャのクリスモスをリ・デザインした「クルスモス・チェア」が有名です

カール・マルムステン

氏名カール・マルムステン
出身地スウェーデン
生年月日1888〜1972
代表作市庁舎のアームチェア
カール・マルムステンは、スウェーデンを代表する家具デザイナーであり、彼の作品は70年以上経過した今でも健在で、時の流れに微動だにしません。独立したばかりの1916年、ストックホルム市庁舎の家具のコンペに応募した椅子が1位になり、家具デザイナーとして認められました。彼にデザインは農民が使っていた素朴な椅子と機能的なモダンデザインをうまく融合されました。彼はプロフェッサーという異名を持ち、1930年にはストックホルム工芸学校を開設しました。その後、学校法人カペラゴーデンを設立。現在も彼の意志は受け継がれ、家具やテキスタイルを学べる学校がストックホルムやエランド島で運営されています。

ブルーノ・マットソン

氏名ブルーノ・マットソン
出身地スウェーデン
生年月日1907〜1988
代表作エヴァ(EVA) ペルニラ
ブルーノ・マットソンは、スウェーデンを代表する家具デザイナーで建築家です。父の工場で家具職人として20代半ばまで10年間修行を詰みました。修行時代から安楽椅子を基本として少しづづ改良し、心地よさの研究成果を生かしながら、優雅なデザインの安楽椅子である「ワークチェア」を開発しました。彼はスウェーデンの伝統を守りつつモダニズムを追求しました。後に「エヴァ」と命名された彼のワークチェアは、人が座ったときに、背と座の角度や高さがどういう場合快適なのかを人間工学の観点から研究し、椅子のデザインを行いました。構造はとてもシンプルで、接着剤を使用せず、ネジとボルトだけで仕上げました。1939年のニューヨーク博など各地の展覧会に出品し、スウェーデン家具のデザインの素晴らしさを広めました。

デンマーク作家の椅子

コーア・クリント

氏名コーア・クリント
出身地デンマーク コペンハーゲン
生年月日1888年12月15日〜1954
代表作レッドチェア サファリチェア
コーア・クリントは、デンマーク王立美術大学にてカール・ピーターセン教授に学び、画家として出発しました。彼は、多くのデザイナーに影響を与え、デンマーク家具の始まりは彼と言っても過言はない活躍をしました。彼は、伝統を大事にしながら、「リ・デザイン」の精神でものつくりを数学的アプローチで進め、1924年に王立美術大学に新設された家具コースの主任教授になり、独自の教育理念に基づき多くの優れたデザイナーを卒業させました。そういう意味では、彼は「デンマーク近代家具デザインの父」と呼ばれるのに相応しい存在です。「ファーボー美術館」の家具のデザインを担当したことがきっかけで、自身の才能が開花することになります。

カイ・ゴットロブ

氏名カイ・ゴットロブ
出身地デンマーク
生年月日1887〜1976
代表作アームチェア クリスモスチェア
カイ・ゴットロブは、1887年に生まれ、1914年王立美術大学建築科を卒業。1920年に自身の事務所を設立するとともに、王立美術大学建築科の教師として務める。彼は、フリッツ・ハンセンの息子であるクリスチャン・E・ハンセンと共に、ブナ材を蒸気で曲げた木を使った試みを行いました。

カイ・フィスカー

氏名カイ・フィスカー
出身地デンマーク
生年月日1893〜1965
代表作ウィングバックチェア
カイ・フィスカーは、デンマークの建築家であり、家具のデザイナーです。
1930年代にコペンハーゲンの都市計画に参画し、その後、デンマークの王立美術アカデミーで教鞭をとしました。彼は、多くの建築物や家具を設計し、その中にはコペンハーゲンの市庁舎やヘルマンフスなどがあります。1936年から1942年までコペンハーゲン家具工業組合のために家具を設計し、デンマーク工芸博物館の館長も努めました。

ヤコブ・ケア

氏名ヤコブ・ケア
出身地デンマーク
生年月日1896〜1957
代表作JK-7800 FNチェア
ヤコブ・ケアは、デンマークの家具職人であり、デザイナーです。父親から家具職人としての訓練を受け、ベルリンやパリで修行をした後、1929年にバルセロナ万博に出展しました。彼の作品には、椅子やテーブルがあり、代表作としては1950年代に作られた「JK-7800」があります。この椅子は曲線的なフォルムと美しい木目が特徴であり、現在でも高い評価を得ています。彼はデンマーク家具の品質向上や輸出振興にも熱心に取り組み、1952年から1957年まで家具工業組合展示会の会長を務めています。その作品はコペンハーゲン工芸博物館、アムステルダム近代美術館、スウェーデン国立美術館にコレクションとして収められています。

モーエンス・コッホ

氏名モーエンス・コッホ
出身地デンマーク コペンハーゲン
生年月日1989〜1992
代表作MKチェア
モーエンス・コッホは、デンマークの建築家でデザイナーです。1925年に王立美術大学建築科を卒業し、カール・ピーターセンのもとで働き、1930年まではコーア・クリントとも一緒に働いています。1934年には自身の事務所を設立し、1939年からは王立美術大学で建築史を教えています。コーア・クリントと同世代のコッホはクリント同様デンマークの家具デザインにおおきく関わっています。モーエンス・コッホがデザインした家具は、使用目的や場所を明確に考慮されたデザインであり、求められる機能などをシンプルに再現されたものであります。

フリッツ・ヘニングセン

氏名フリッツ・ヘニングセン
出身地デンマーク クリスチャンボーン
生年月日生没不詳
代表作ロッキングチェア イージーチェア
フリッツ・ヘニングセンは、デンマークの家具デザイナーで工房のオーナーです。1936年には、コペンハーゲンの工芸博物館で開催された第10回キャビネットメーカーズギルドに作品を出品しました。その椅子は「イージーチェア」と呼ばれ、当時といしてはクッション性の高いエレガントな椅子として高い評価を受けました。

エドワード・キンド・ラーセン

氏名エドワード・キンド・ラーセン
出身地デンマーク
生年月日1901〜1982
代表作ファイヤープレイスチェア
エドワード・キンド・ラーセンは、妻のトーベ・キンド・ラーセンと共に1930年代から1960年代にかけて建築、家具、銀食器のデザインなどで活躍されました。彼は、1922年に建築技術学校を卒業し、1927年に王立美術大学建築学科を卒業しています。「ファイヤープレイスチェア」と呼ばれる椅子を、1930年代のデンマークを代表する椅子として夫婦でデザインされました。

フレミング・ラッセン

氏名フレミング・ラッセン
出身地スコットランド
生年月日1902〜1984
代表作ダイニングチェア アームチェア
フレミング・ラッセンは、コペンハーゲンの煉瓦積技術学校で学び、ニールス・ローゼンケアーに建築技術を学びました。モーエンス・ラッセンとは兄弟で、後にアルネ・ヤコブセンと共に働き「未来の家」を発表しました。彼がデザインした「アームチェア」は「フレミング・ラッセンスタイル」として世間に知られるようになりました。

モーエンス・ラッセン

氏名モーエンス・ラッセン
出身地デンマーク
生年月日1901〜1987
代表作アムールスツール
モーエンス・ラッセンは、1919年から1923年の間、コペンハーゲン技術学校で煉瓦積み職人として学び、1924年に建築家としてキャリアをスタートしました。彼は、デンマークの家具のデザイナーであり、建築家であります。いち早くデンマークへドイルのバウハウスの理念を取り入れた一人です。シンプルで優雅なエジプシャンテーブルをはじめ多くの名作を生み出しました。1971年にはアカデミー建築協会名誉賞を受賞しています。

アルネ・ヤコブセン

氏名アルネ・ヤコブセン
出身地デンマーク コペンハーゲン
生年月日1902〜1971
代表作アントチェア セブンチェア エッグチェア
1924年から3年間、王立芸術大学でカイ・フィスカー教授のもとで建築を学びました。1925年のパリ博に出品した椅子が銀賞を受け、早くからその才能に注目されました。1952年にデザインした「アントチェア」が有名ですが、これは当時ノボ製薬会社の社員食堂に200台納品された商品ですが、当時の技術では9枚のベニアを重ねて成形する技術はなく、苦心の末このデザインになりました。建築で有名なのは「SASロイヤルホテル」ですが、ここでもホテルで使用する「エッグチェア」や「スワンチェア」という名作の椅子を生み出しています。ヤコブセンを語る上において忘れてはいけない会社に「フリッツ・ハンセン社」があります。この会社の技術協力があって初めて、ヤコブセンのデザインが誕生したと言っても過言ではありません。

マグナス・ステフェンセン

氏名マグナス・ステフェンセン
出身地デンマーク
生年月日1903〜1984
代表作
1924年技術学校を卒業し、1931年王立美術大学建築家を卒業。1932年に自身の事務所を設立。設立当時はアパートメントや学校などをデザインしています。銀食器などのデザインでも有名であります。1950年代は「ロイヤルコペンハーゲン」向けに陶器のポットなどのデザインも行っています。

オーレ・ヴァンシャー

氏名オーレ・ヴァンシャー
出身地デンマーク
生年月日1903〜1985
代表作イージーチェア
1929年にコア・クリントの生徒として、王立美術大学を卒業。1955年からクリントの後を受け教授を務める。彼は家具を一つの建築と考え、繊細で洗練された構造を追求したデザイナーでありました。彼は特に18世紀の中国・ギリシャ・イギリスなどを愛し、それぞれに持つ美しい曲線を自分のデザインに取り入れました。カール・ハンセン&サン社は彼の作品を世界で一番多く生産している会社であります。

ソーレン・ハンセン

氏名ソーレン・ハンセン
出身地デンマーク
生年月日19056〜1977
代表作PK22チェア PK25チェア
ソーレン・ハンセンは、1928年にフリッツ・ハンセンに入社し、フリッツ・ハンセン社の共同ディレクターを務めています。1933年には共同経営社となり、1955年から1975年まで社長に就任しています。彼は、ポール・ケアホルムとともに、20世紀のデザイン史において重要な役割を果たしました。1951年から1975年までデンマーク政府工芸家協会会長を務めています。

ビエト・ハイン

氏名ビエト・ハイン
出身地デンマーク
生年月日1905〜1996
代表作バースツール
ビエト・ハインは、デンマークの数学者で、詩人、哲学者、ゲームデザイナー、家具デザイナーです。1950年代後半にストックホルムの交通問題を解決するためにロータリー交差点をデザインした時に「スーパー楕円」を発見したことで有名です。このスーパー楕円を家具に応用し、フリッツ・ハンセン社でテーブルを製作されました。彼がデザインした「スーパーエリプステーブル」は、楕円形と長方形の中間のようなフォルムをしていて、その美しいデザインから多くの人に愛されています。

モーエンス・ヴォルテレン

氏名モーエンス・ヴォルテレン
出身地デンマーク
生年月日1908〜1995
代表作コペンハーゲンチェア
モーエンス・ヴォルテレンは、デンマークの家具デザイナーです。フィン・ユールと名工のニールス・ヴォッダーを結びつけた人物でもあります。椅子の代表作で「コペンハーゲンチェア」は座の延長が後脚という安楽性の高い椅子に仕上がっています。名工ニールス。ヴォッダーはデンマークの家具職人で、1915年設立家具工房を設立しました。

オーラ・ミュルガード・ニールセン

氏名オーラ・ミュルガード・ニールセン
出身地デンマーク
生年月日1907〜1994
代表作
オーラ・ミュルガード・ニールセンは、デンマークの家具デザイナーで、オールボー市のニールセン兄弟の元で技術研修生として従事しました。「ミュージアム・オブ・インダストリアル・アート」の職業訓練校を終了して、コペンハーゲンの芸術アカデミー家具インテリア科にて学びました。1950年代から1960年代にかけてペーターヴィッツとハンス・クリンセンなどとともに活躍しました。

フィン・ユール

氏名フィン・ユール
出身地デンマーク
生年月日1912〜1989
代表作ペリカンチェア イージーチェアNO-45 チーフティンチェア
フィン・ユールは、アルネ・ヤコブセンやハンス・J・ウェグナーやボーエ・モーエセンと並ぶ北欧4大巨匠の一人です。フィン・ユールの椅子は「後ろ姿が美しい」と言われるほどバックシャンな椅子を多くデザインしました。彼は、王立美術大学建築科で学び、1934年に卒業し、デンマーク家具を全く違う角度からデザインしたことで知られています。しかし、本来は建築家であるフィン・ユールは家具のデザインに関して専門的に勉強していたわけではなく。最初からデンマークで受け入れられず、最初は反発と揶揄が集中していました。しかし、アメリカにて1940年代から1950年代にかけての「グッドデザイン展」でフィン・ユールの名声は高まり、そこ効果でデンマークでの評価の高まりに繋がりました。

ハンス・(J)ヨルゲンセン・ウェグナー

氏名ハンス・(J)ヨルゲンセン・ウェグナー
出身地デンマーク
生年月日1914年4月2日〜2007
代表作Yチェア ピッコクチェア
ハンス・(J)ヨルゲンセン・ウェグナーは、1938年に手工芸学校の家具技術コースをで、1943年に自身の事務所を設立しました。家具のデザインを学ぶうちに「ボーエ・モーエセン」と出会う。1943年に中国の明代の椅子を参考に「チャイニーズチェア」を発表する。この椅子こそハンス・ヨルゲンセン・ワグナーのその後の椅子のデザインの基礎となる。ここで重要なことは、ワグナーでもモーエンセンでも、過去のデザインスタイルを参考に自分のオリジナリティを確立していたということであり、過去のデザインを真摯に受け止め、それを「リ・デザイン」することで本当の意味でオリジナルデザインになるということである。彼は、同じテーマの作品を繰り返し新しくデザインすることで、自身の世界を時代を超えたデザインに変えていったのである。

ボーエ・モーエセン

氏名ボーエ・モーエセン
出身地デンマーク オルボー
生年月日1914年4月13日〜1972
代表作ハンティングチェア J-39
ボーエ・モーエセンは、1942年王立美術大学家具科を卒業。家具科の初代教授のコーア・クリントに教えられました。彼は、アルネ・ヤコブセンやハンス・J・ウェグナーやフィン・ユールに並ぶ北欧の巨匠であります。彼は、終始一般大衆向けに、シンプルで価格を安くするためにコスト削減を考えたデザインを実践している。1945年から1947年まで、王立美術大学家具科の助手を務め後輩の指導に当たっています。モーエンスは58歳の若さで他界しているが、その意志は息子のペーターに受け継がれた。デンマーク家具の黄金時代を築いた「コペンハーゲン家具職人ギルド展示会」には、モーエンセンも数多くの作品を出展しています。

アクセル・ベンダー・マドセン

氏名アクセル・ベンダー・マドセン
出身地デンマーク
生年月日1916〜2000
代表作メトロポリタンチェア(アイナー・ラーセン共作)
アクセル・ベンダー・マドセンは、デンマークの家具デザイナーです。1936年に家具職人としての技術を学び、1940年から王立芸術アカデミーで家具を学びました。1940年から1943年までコーア・クリントンやアルネ・ヤコブセンの元で働く。1947年から建築家アイナー・ラーセンとともに事務所を設立。木と革や籐などの素材を組み合わせて北欧家具の特徴であるシンプルなデザインの家具を作り上げました。

アイナー・ラーセン

氏名アイナー・ラーセン
出身地デンマーク
生年月日1917〜1987
代表作
アイナー・ラーセンは、アクセル・ベンダー・マドセンとともに1947年に事務所を設立。1940年にマドセント同じく工芸学校家具科を卒業。1952年から1970年にかけて、クリスチャンボー宮殿の建築家を務めました。北欧家具の特徴であるシンプルで美しいデザインが特徴です。

カイ・クリスチャンセン

氏名カイ・クリスチャンセン
出身地デンマーク
生年月日1929年〜
代表作
カイクリスチャンセンは、1955年デンマーク王立芸術アカデミーを卒業。コーア・クリントンの下で教えられ家具デザインを学ぶ。1955年自身の事務所を設立。彼は、コーア・クリントンのデザイン思想を受け継いだ一人とされています。日本では、2010年ごろ「宮崎椅子製作所」にて復刻プロジェクトを行なっています。

ヘルゲ・ヴェスタゴード・イエンセン

氏名ヘルゲ・ヴェスタゴード・イエンセン
出身地デンマーク
生年月日1917〜1987
代表作ラケットチェア
1943年工芸学校家具科を卒業。王立美術大学のコーア・クリントの下で働く。彼の代表作は1955年に制作された「ラケットチェア」と呼ばれています。テニスのラケットに貼るナイロンを椅子の背に使用したことでそう呼ばれています。1950年に自身の事務所を設立。彼は、シンプル&エレガントなデザインを提唱し、個性的な形態を想像しました。

エベ・クレメンセン

氏名エベ・クレメンセン
出身地デンマーク
生年月日1917年〜1997年
代表作イージーチェアNO4305
1941年王立美術大学建築科卒業。1946年にカレン・クレメンセンと共に事務所を設立。1952年から王立美術大学で教壇に立ちます、彼は妻のカレン・クレメンセンと共に多くの建築作品を手掛けました。

カレン・クレメンセン

氏名カレン・クレメンセン
出身地デンマーク
生年月日1917年〜2001年
代表作イージーチェアNO4305
1942年王立美術大学建築科卒業。1943年から1945年にかけてコペンハーゲン市建築課で働く。1946年にエベ・クレメンセンと共に事務所を設立。夫のエベ・クレメンセンと多くの建築物を建築し、代表作にゲントフト市にあるプールや体育運動室が備え付けてあるキルスコウスハーがある。

ヨーン・ウッツォン

氏名ヨーン・ウッツォン
出身地デンマーク
生年月日1918年4月9日〜2008年11月29日
代表作ラウンジチェア
ヨーン・ウッツォンは、1942年王立美術大学建築科を卒業。建築家として国際的に活躍し、最も有名な建築物はオーストラリアの「オペラハウス」であります。その建築物にあるようにダイナミックな曲線のデザインが彼の持ち味です。また、自然と調和させる思想であり、素材・機能の統合を図りながら設計されています。

グンナー・アゴード・アンデルセン

氏名グンナー・アゴード・アンデルセン
出身地デンマーク
生年月日1919年〜1982年
代表作サイドチェア
1946年王立美術大学卒業。1972年から王立美術大学教授を務める。1973年から1974年には同校の副学長を務める。常に新素材や新技術を取り入れ、急進的なデンマークの家具デザイナーである。

イルム・ヴィッケルソー

氏名イルム・ヴィッケルソー
出身地デンマーク
生年月日1919年〜1999年
代表作
イルム・ヴィッケルソーは、デンマークの家具の職人であり、家具のデザイナーです。1941年にコペンハーゲン美術工芸学校を卒業。ヤコブ・ケア家具制作工房で働き、建築事務所で勤めたあと、1954年に自身の事務所を立ち上げました。

ハンス・オルセン

氏名ハンス・オルセン
出身地デンマーク
生年月日1919
代表作ダイニングチェア
ハンス・オルセンは、1960年代に活躍したデザイナーで、1944年に工芸学校を卒業し、1944年に王立美術大学でコーア・クリントの下で学びました。彼は、ディネッテダイニングテーブルなどの代表作が挙げられます。彼のデザインはオーソドックスな手法で、手堅い手法のデザインがよりデンマークらしさを強調しています。1965年にアメリカ・インテリアデザイン協会金賞を授与されています。

グレーテ・ヤルク

氏名グレーテ・ヤルク
出身地デンマーク コペンハーゲン
生年月日1920〜2006年
代表作ラミネイトチェア
1946年工芸学校卒業。王立美術大学にてコーア・クリントに学ぶ。1955年から1960年まで工芸学校家具科の教師を務める。1950年代から1960年代にかけて、数少ない女性デザイナーとして活躍。1954年に自身の事務所を設立。代表的なチェアのラミネイトチェアは、成形合板を紙のように折り曲げた独特のデザインでありますが、150脚のみ作られました

ニールス・O・ミュラー

氏名ニールス・O・ミュラー
出身地デンマーク
生年月日1920年〜
代表作ダイニングチェア

ニールス・O・ミュラーは、1944年に自身の製作工房を持ち活躍しました。また、デンマークのデザイナーとしても活躍し、伝統的なデンマークデザインを得意としています。指物技術工として職人の手仕事を美しいデザインの家具に仕上げてあたかも美術工芸品のような仕上がりの家具を製作しています。

ヴィルヘルム・ヴォーレート

氏名ヴィルヘルム・ヴォーレート
出身地
生年月日1920年12月20日〜1997年1月10日
代表作ピアノチェア
ヴィルヘルム・ヴォーレートは、王立美術大学でカイ・フィスターに学び、1948年自身の事務所を設立しました。1958年にルイス・ポールセンと共に設計した「PH Artichoke(ルイス・ポールセンライト)」のランプが有名です。1968年から1986年まで王立美術大学の教授を務めました。デンマークのルイジアナ美術館は、ヴィルヘルム・ヴォーレートとヨルゲン・ボーの共同設計により生まれました。

イブ・コホドーラーセン

氏名イブ・コホドーラーセン
出身地デンマーク
生年月日1921年〜2003年
代表作IL10イージーチェア
イブ・コホドーラーセンは、王立美術大学を卒業後、インダストリアル・プロダクトや工房家具の作品を製作しました。彼は、デンマークの優れた職人の為の「スネーカーギルド」のコンクールに出品し、スネーカーギルド賞を受賞しています。彼は、長年に渡って家具工業組合展示会に関わりました。

ナンナ・デイッツェル

氏名ナンナ・デイッツェル
出身地デンマーク
生年月日1923年10月6日〜2005年6月17日
代表作
ナンナ・デイッツェルは、デンマークを代表する女性家具デザイナーで、フィン・ユールやハンス・J・ウェグナーらと共に1950年代のデンマーク家具デザインの黄金時代を築き上げました。1946年夫のヨルゲン・デイッツェルと自身の事務所を設立。彼女は機能性と美しさを兼ね備えた家具を数多くデザインしました。ハンス・J・ウェグナーと共同でデザインした「ハートチェア」は有名です。

ヨルゲン・デイッツェル

氏名ヨルゲン・デイッツェル
出身地デンマーク
生年月日1921年〜1961年
代表作ND54ハイチェア
ヨルゲン・デイッツェルは、ナンナ・デイッツェルの夫で、1939年に椅子張り職人になりました。1946年にナンナと共に事務所を設立。ヨンゲルとナンナは子供用の家具を多くデザインしました。1954年に共同でデザインした「ND54ハイチェア」はカール・ハンセン&サン社から発売され、家具デザインの歴史に残る名作になりました。

クリスチャン・ソルマー・ヴェデル

氏名クリスチャン・ソルマー・ヴェデル
出身地デンマーク
生年月日1923〜
代表作Modous イージーチェア
クリスチャン・ソルマー・ヴェデルは、1946年工芸学校家具科を卒業。1944年から1955年まで王立美術大学の研究生。1955年に自身の事務所を開設する。最も有名な椅子に「Modous イージーチェア」があり、シンプルながらモダンなデザインが特徴で、座り心地を重視して設計されています。

ポール・M・ヴォルター

氏名ポール・M・ヴォルター
出身地デンマーク
生年月日1923年〜2001年
代表作
ポール・M・ヴォルターは、ハンス・オンセル家具製作工場で訓練を受けて家具職人になり、その後家具技術学校を卒業しました。彼は、FDB(生活協同組合)のデザイナーとして知られています。

ヘニング・ラーセン

氏名ヘニング・ラーセン
出身地デンマーク コペンハーゲン
生年月日1925年8月20日〜2013年6月22日
代表作
ヘニング・ラーセンは、1948年技術学校を卒業。1952年王立美術大学を卒業。1956年に自身の事務所を設立しました。彼は、フィンランドのアアルトやスウェーデンのグンナ・アスプルンドの影響を受け、モダンな建築を追求しました。彼が手がけた建築物には、デンマーク国立銀行本社ビル、コペンハーゲン国際空港、シドニーオペラハウスの拡張などがあります。

ポール・ケアホルム

氏名ポール・ケアホルム
出身地デンマーク
生年月日1929年1月8日〜1980年4月18日
代表作PK22チェア PK24チェア
1952年王立美術大学を卒業し、アルネ・ヤコブセンの下で働きました。彼の代表作は、PK22チェア、PK 24チェア、PK31シリーズなどがあります。これらの作品は鉄やスチールを使ったデザインが特徴です。ポール・ケアホルムに影響を与えたのは、ルードヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエであり、その代表作の「バルセロナチェア」を意識してデザインされたのがPK-22と言われてします。

ヨルゲン・ガメルゴー

氏名ヨルゲン・ガメルゴー
出身地デンマーク コペンハーゲン
生年月日1938年〜1991年
代表作
ヨルゲン・ガメルゴーは、1959年から1964年に王立美術大学で学び、1968年から1971年まで、アルネ・ヤコブセン、ヨルゲン・ボーの事務所で働きました。1960年代から1970年代にかけて、デンマークの家具メーカのフレッド・ピーターセンとコラボレーションして、多くの作品を手がけました。ガメルゴーのデザイン哲学は、シンプルで機能的なデザイン追求で、その作品は現代の美的感覚にあったものです。